故佐藤功太郎先生へ

佐藤功太郎先生、永い間ありがとうございました。
どうか安らかにお休みください。

佐藤功太郎先生プロフィール

1944年東京に生まれる。東京芸術大学にてクラリネットを専攻。その後指揮科に移り渡辺暁雄氏に師事。
1968年フルブライト留学生によりボストンのニューイングランド音楽院指揮科に入学。1970年、同音楽院修士学位を受ける。
帰国後、京都市交響楽団副指揮者に就任。
1972年7月、二期会オペラ「ラ・ボエーム」で東京デビュー、好評を博す。
1974年4月より1975年11月まで東京都交響楽団の指揮者をつとめ、同年11月から1年間、文化庁派遣海外研修員としてベルリンドイツオペラ、ベルリンフィルハーモニー交響楽団を中心に研鑽を積む。
帰国後、二期会オペラ「ルチア」「ファウスト」「真夏の夜の夢」「天国と地獄」等を指揮、高い評価を得ている。また、1998年1月、長野オリンピック文化芸術祭参加オペラ「信濃の国善光寺物語」の音楽監督・指揮をつとめ好評を得ている。
1975年5月にはベルリンRIAS放送新人演奏会に出演。
1978年2月より群馬交響楽団常任指揮者。
1980年5月より京都市交響楽団専任指揮者。
1982年4月より1987年5月まで新星日本交響楽団主席指揮者。
1990年より1994年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者
(その後、主席客演指揮者)。
2000年より、東京芸術大学指揮科教授。
コーロ・ヌオーヴォでは創立以来常任指揮者をつとめる。
2006年6月15日没 享年62歳。

佐藤先生ステージ

 

当団の常任指揮者・佐藤功太郎先生は06年6月15日未明、永眠されました。
団員一同、痛恨の極みに浸りつつも、ご冥福をお祈りするばかりです。

思い起こせば、1973年の当団設立以来、33年間にも渡る永い間、
その高い技術力と、有り余る熱意で私たちをご指導いただき、
すばらしい音楽の体験の場を与えてくださいました。

今日の当団があるのは先生のご指導の賜物であり、
まことに感謝の念に耐えません。
こんな素晴らしい先生に、常任指揮者としてご指導いただくことができて、
私たちは本当に幸せでした。

2004年12月、44回演奏会のレセプションでおっしゃられた
「俺も80歳まで振るから、、、」とのご意思が叶わず、
かえすがえすも残念でなりません。

功太郎先生、天国で安らかに、安らかにお休み下さい。
我々も先生の誇りを汚さぬようにしたいと願っています。

佐藤先生 練習